平山郁夫について① 生い立ち

1930年、平山郁夫は広島県、瀬戸内海の生口島、瀬戸田町で生を受けました。九人兄弟の次男で、小さい頃から絵を描くことが大好きな腕白少年。家の前の道路に蝋石で絵を描き、大人たちを驚かせたといいます。

やがて中学生になった平山少年。太平洋戦争末期の1945年8月、勤労動員で配属された広島市内で原爆にあいましたが、なんとか焼け野原を脱出します。このときの地獄のような体験が、のちに画家として平和への願いを終生のテーマとするきっかけとなったのです。

被爆後、故郷に帰った平山は、大伯父の薦めで絵の道に進み、16才の若さで上京。東京美術学校、今日の東京芸術大学に入学します。そこで、前田青邨に日本画を学び、のちに夫人となる松山美知子と出会いました。
20代の終わり頃、原爆の後遺症や経済的に苦しい生活、そして創作にも悩む時期を迎えましたが、ようやくそれを乗り越えて、玄奘三蔵の旅をテーマにした《仏教伝来》を発表したのは、1959年、29歳の時のこと。この作品で新進気鋭の画家として世の注目を集めたのです。